宮古島BLUEと呼ぶそうだ。現地の友達が17endと呼ばれる絶景スポットに連れて行ってくれた。マリン、コバルト、エメラルド。どんな言葉を使っても安っぽい印象を与えそうだ。言葉に出来ないから、宮古島BLUE なのだ。
リタイア後の海外放浪計画が、新型コロナによって一年半中断してしまった。ほったらかしの旅ブログを沖縄は宮古島から再開することにした。
目的はチャリに乗って島を一周すること。3月11日。平良港のホテルで赤いクロスバイクを借りた。シボレーの6段変速で1日2500円。島で一番安いレンタカーで3000円だから、少し高いかもしれない。
地元紙、宮古毎日新聞のお天気欄で、その日の予報は最高気温25度だった。もはや初夏である。スタート地点は平良港。学生時代、サトウキビの刈り取りバイトでやって来たときに、降り立った港である。あれから40年以上たつ。記憶の引き出しが、全く開かない。
薄曇り。午前7時40分出発。時計周りで北上することにした。
まずは、西平安名崎を目指す。西と呼ぶが実際は北の端にある。スマホ頼りで進んだが、気づいたら途中から道を間違え、南に向かっていた。5キロほどロスした。ショックを隠せない。宮古島の道は直角の交差点が少ない。緩やかなカーブの曲がり角で方向を見失いがちだ。
本土には絶対にない、こんな看板を見つけた。
「山羊肉有ます」
なんだか怪しい物を売っているような感じがある。ヤギ汁の臭さは独特と聞いたことがある。精力剤としての効用からか、おおっぴらに売れないのだろうか。いろんなことを考えながら、ペダルを踏んだ。
午前9時すぎ、西平安名崎に着いた。灯台がない。宮古島は隆起珊瑚礁の島である。その突端が海に沈んでいる。いや、隆起だから、海から浮かび上がっている、かな。二基の風車が風をはらみ、回っている。
サトウキビ畑が延々と続く。先っぽが特殊な形をした専用釜で葉を落とした覚えがある。竹と違って曲がっているので、束ねるのが難儀だったことを思い出した。時折り、道にはみ出したキビを踏まないように進んだ。
今度は東平安名崎を目指す。宮古島の北東岸に入ると、グッと車が減った。起伏が続くが、標高100メートルを超えるところはない。しかし、体から水分が奪われ、ポカリやアクエリアスがどんどん空になっていった。
すれ違う車はサトウキビを満載したトラックばかりである。
ついに補給水がなくなった。右足太ももに、嫌な張りを感じた。痙攣が来たのは、比嘉ロードパークという展望台に登り切ったあたりだ。水分不足が原因なのはわかっている。しばらく休んで自販機を探した。
もちろんコンビニや食堂もない。これほど、自販機を探したことは、なかったかもしれない。1キロは走っただろうか。キビ畑の向こうに赤い自販機が見えたとき、砂漠のオアシスとはこんな感じか、と妙に感動した。
160円でアクエリアスを買い、体内に水を与えた。足の痙攣が収まった。
東平安名崎11時59分に到着。
行程の半分は来ただろうか。体力的に平良港に戻れるか、不安が高まる。南岸道路は起伏の連続である。ただ、下り坂になると疲れが吹っ飛ぶ。手を離してスマホで写真を撮った。車がほとんど来ないので、こんな芸当ができる。
起伏といっても、香川県の小豆島に比べたら大したことはない。距離は宮古島一周の方が長いが、ずいぶん楽である。
南岸はリゾートホテルが続く。その一方で、自衛隊の弾薬庫計画が進み、住民の反対運動が続いている場所がある。
大手資本が入り、たくさんの別荘区画が売りに出されていた。
平良港と書かれた道路標識が見えてきた。お尻と手首の痛みが極限状態だが、終点が見えて来ると頑張れるものだ。ペダルのひと踏みごとに町が近づいて来る。車の排ガスも気になってきた。
15時4分、平良港近くのパイナガマビーチに到着。宮古島一周86キロの旅を終えた。両腕の日焼けが、完走証明となる。さて、風呂屋へ行こう。
そして、オリオンビールだ。
元朝日新聞記者 中村正憲
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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