グランブルーの世界へ

↑ ↑  タオルミーナのイソラベッラ。isola bella は文字通り美しい島という意味だ。小豆島のエンジェルロードと同じく、潮の満ち引きで島への道が現れる

 月に立った人間と、100メートル以上の深海に潜った人の数は同じだと、ずいぶん前に何かの記事で読んだ覚えがある。

 人類で初めて月に立ったのはアポロ11号のアームストロング船長というのはよく知られている。1969年のことだ。テレビにかじりついて深夜に実況を見た記憶がある。

 だが、人類で初めて100メートルの深海に達した人の名前を言える人は少ないだろう。

 フランス人のジャック•マイヨール。映画「グランブルー」を見て、その人の名を知った。彼は1976年、49歳のときに地中海でその記録を達成した。映画グランブルーはマイヨールを題材にして、リュックベンソン監督が撮った長編だ。そのロケ地がシチリアのタオルミーナだった。

 8月25日夕方、イタリア語学校の仲間たち14人でその場所に船で行った。イソラベッラという、砂州でつながる島の周辺が映画の撮影で使われた場所のひとつだ。深い碧がそこにはあった。
 タオルミーナの語学学校は午前9時半から始まり、午後1時に終わる。現在、欧米各国から訪れた20人ほどが通っている。ちなみにアジア人は僕一人。レベルで言えば下から2番目のDクラスに所属している。このクラスは総勢4人の小クラス。アメリカ人女性2人とフランス人女性1人と一緒に学んでいる。

 学校は座学のほか、ほぼ毎日、夕方からアクティビティの時間が用意されている。事前に応募してフリー参加出来る仕組みだ。25日は、小型のプレジャーボート(バルカ)で海に出て泳ぐプログラムだった。船名が「Dolce vita(甘い生活)」というのがなんともイタリアらしい。
 船は沖合でアンカーを下ろした。日に焼けた船長が、「映画でパスタを食べたシーンがあるだろう。あの崖のレストランがそこだ」と指差した。
 Nuota!
 さあ、泳げ。船長の声につられ、学生たちは次々と飛び込んだ。そんなに冷たくない。青が濃い。ジムで使うゴーグルを持って来たのが正解だった。無数の小魚がキラキラ光っていた。
 日本記録を持つフリーダイバー、篠宮龍三のドキュメンタリーを何度か見たことがある。2008年4月、マイヨールの素潜り記録105メートルに挑んだ。だが、104メートルで帰還した。
 その時の篠宮の言葉が、印象に残っている。

 「手を伸ばしたら、ギリギリで保っていた心と体と海のバランスが崩れると思った。無駄な思考をしてパニックになったら帰れなくなる。深い海は『本当にここを通る資格があるのか?』と問いかけてくる」

 あと1メートル。この時、マイヨールの記録に並ぶことは、篠宮にとって死を意味した。そこで諦める精神力に感嘆する。月着陸も素潜りも、人類の冒険にはワクワクさせる何かがある。月着陸が組織的な冒険なら、フリーダイビングは生身の人間の孤独な闘いと言える。心と体と海のバランスを五感の中で保ち続けなければならない。その強靭な精神には、ただただひれ伏すばかりだ。

 親日家のマイヨールは、自分で命を絶った。晩年、鬱病に悩まされたという。享年74。グランブルーは、人が到達してはいけない領域なのかもしれない。

 篠宮龍三はその後、マイヨールの記録を破り、115メートルというアジア記録を作った。今では100メートル超えが、月着陸人数(12人)を上回ったことは明らかだ。
 僕もグランブルーに触れようと潜った。だが、2メートルも潜れず、苦しくなってプハーと水面に顔を出した。そもそも、無駄な思考や邪念が多すぎるのだ。イタリア語学校の水着女子たち(20代-50代)が、近くでキャッキャと騒いでいるし。深い海から「君にはここを通る資格がない」という声が聞こえてきた。
↑ ↑ ↑ タオルミーナの中心にあるDUOMO(ドゥオーモ)前の馬の口から出る水は飲める。グランブルーでは、この場所も登場。イルカに水をかけていた。

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)

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