フィリピンへの旅立ちが2月14日だったから、それなりに旅慣れもしてきたが、困ったことはちょくちょく起きている。
南イタリアのオートラントに来てから一番焦ったのは、現金が枯渇しそうになったことだ。
いまやキャッシュレス時代、VISAとマスターカードの2枚のクレジットカードを持っているので現金がなくても大丈夫だろうとたかをくくっていた。ある日、BARで晩飯がわりにパンと生ハムを食べ、スプリッツァとビーノを飲んで、お勘定をカードでお願いすると、ドイツ系のおばちゃんから「ノン」と言われた。
これはやばいぞ。
宿の主人に相談すると、隣のバンクに行くといい、と言われた。宿の隣が地元銀行の支店だった。翌朝、日本円を3万ほど持って出向いた。
まず、入り口で戸惑った。玄関に小型回転ドアがあり、動かない。しばらく考えこんでから壁のボタンを押すと、半分開いた。中に入ると自動的にドアの半分が閉まり、直径50センチほどの円筒形のカプセルの中に閉じ込められた。「えっ、なんで」と焦っていると、室内側の半円ドアが開いて脱出できた。
強盗対策なのか。エアシャワーを浴びて、原発の放射線管理区域に入るような物々しさだ。
いやいや、ここで銀行の警備設備について解説している訳ではない。
宿に帰って主人にその旨を告げた。主人は同情した顔つきで「北へ100㍍ほど行ったところにナポリ銀行の支店がある。そこなら大丈夫だ」と言われた。だが、結果は同じ。またまた主人に相談すると「大丈夫、明日の午前中にポストオフィスが開くのでそこへ行ったらいい」と教えてくれた。
翌朝、郵便局へ行った。円は取り扱っていなかった。もう一軒、別の銀行にも行ったが、だめだった。困り果てた僕に、主人は「40キロ離れたレッチェは大都市でイタリア銀行がある。そこへ行ったらいい」と教えてくれた。
翌日の午後、オートラントから列車を三つ乗り継いでレッチェへ行った。乗り継ぎ駅の待ち時間が半端じゃない。おまけに、下校する高校生や出稼ぎとおぼしき黒人の集団と鉢合わせになり、車両は満員。エレキギターを片手に4人席を占拠していた若い兄ちゃんに、空けてくれと言って、座ることはできた。
レッチェ駅へ戻った。疲れていた。駅前でタクシーを捕まえてオートラントまで帰ることにした。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
日本のことわざは、人生で遭遇する出来事をきちんと網羅している。初めてオートラント入りしたときに使ったタクシー運転手のフランコがニコリと微笑んだ。なんという偶然。いまの両替の苦境について話した。
フランコ「円はむつかしい。ドルはあるか」
僕「100ドルならある」
フランコ「80ユーロでどうだ」
僕「OK」
こうして僕はユーロを手にすることができた。
ふと記憶の引き出しから同じような出来事がよみがえってきた。
※これまで「オトラント」と表記してきましたが、僕のイタリア語の先生のジアーダさんは「オートラント」と伸ばして発音するので、以後「オートラント」と書きます・・・。なんか新聞記者時代の癖が抜けていないわ(笑)。
中村 正憲
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
0コメント