コロナ警戒、外出するな、ワクチンまだか、クラスター発生、病床埋まった、と連日繰り返すテレビを見続けて2年になる。とても大切な報道だと思うのだけど、深刻な顔をしたコメンテーターの顔を見るのに疲れてきた。井上陽水の「傘がない」風にいえば、「だけども、問題は今日の雨、行かなくちゃ」という心境に、抗えず、北へ向かった。流氷の海へ。知床へ。
無音。
流氷の隙間にカヤックで漕ぎ出すと、何も聞こえない。目の前にキンと張り詰めた白の世界が広がるのみ。知床のオホーツク海へ漕ぎ出すのは3回目になるが、冬は初めてだ。
2022年2月13日、北海道斜里町ウトロを訪れた。知床半島を左手の人差し指に例えると、ウトロは第二関節の上側あたりの位置にある。幌別川がオホーツク海に流れこむあたりは、氷が解け、湖のようになっていた。案内してくれた「流氷カヤック」のツアーガイドは「残念なことに、今日は漕げる場所はここしかありません」と言った。
流氷は知床の北東側の海岸をビッシリと埋め尽くしていた。今年、ウトロに流氷が接岸したのは1月30日。去年より1週間遅く、一昨年より10日早かった。
全身を覆いつくしたドライスーツで、モンベルのフォールディングカヤックを河口へ運んだ。知床の川は流れ込み部分の幅が極端に狭い。中流、下流がなく、上流からいきなり海に出る。
カヤックをしばらく漕いで沖合の流氷の上に上陸した。水深は8メートルほど。その上に厚さ10-20センチほどの氷が浮かんでいる。少し黒くなった部分を歩くと、ミシッミシッと不気味な音が響く。割れたらと思うと、ゾクっとする。
案の定、薄氷が割れた。ぐらっと沈みこむ氷の上でバランスを崩し、ドス黒い海中に投げ出された。やばいと思ったが、首の辺りまで浸かると海面に浮いた。外気はマイナス7、8度と思われるが、全く冷たくもない。スピードスケート選手のように顔だけ出した分厚いゴムのドライスーツの保温力と浮力は大したものだ。直径60センチほど、割れた穴から硬い氷に這い上がって難を逃れた。
↑↑↑ 僕が落ちた流氷の穴。↓↓↓落ちた瞬間
流氷カヤックのガイドを務めるKさんは、ウトロに事務所を構えて10年以上になるという。夏場は登山ガイドで羅臼岳や斜里岳を案内するという。氷上を歩きながら、沖合に青く光る氷を指差した。「あれは、ロシアから流れてきた氷です。あの色が目印なんです」と言った。慎重に氷の上を歩きながら、その青氷に接近した。2000キロ離れたシベリアからこの場所にたどり着いたと思うと言葉が出ない。
日が暮れてくると、ブルーアイスはさらに神秘さを増した。再びカヤックに乗り、岸を目指す。今度は夏に来たい。そして、昔のように、知床岬を周り、羅臼側へ漕いでいきたい。
「定年後、荒野を目指す」ブログは3年前、会社を辞めた時から始めたが、新型コロナの感染拡大によって長い間中断してしまった。久しぶりの知床の旅で、遭難しかけたあの夏の出来事を思い出した。(続く)
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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2022.02.14 23:40
2022.02.14 18:49
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