「遠い太鼓」を読みながら

 シチリアからは、ローマ行きの夜行列車が出る。メッシーナ駅で、列車はフェリーに積み込まれ、イタリア本土へ渡るのだ。今回は見るだけ。

 そう言えばあの時もそうだった。デンマークのニュークビンという駅で乗った列車は、フェリーに乗せられてバルト海をドイツへ渡った。


 22歳。大学時代にアジアヨーロッパを放浪旅行した。五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読んで感化され、パキスタン航空の1年有効の南周り航空券を買ってデンマークの空港に降り立った。

 日本出国時の手持ち金は、アルバイトで貯めた24万円。コペンハーゲン駅で、西ヨーロッパ中で使える急行乗り放題チケット(有効期間1ヵ月)を2万4千円で買い、列車を宿代わりにする旅を続けた。旅立ちは3月、まだ寒かった。

 ひたすら南下し、イタリアのジェノバ駅で降りた。ところが、土砂降りの雨。傘がない。仕方なく、ホームに戻り、適当な列車に乗り込んだ。行き先がトリノと書いてあった。
 
 当時はプラザ合意の前で、まだ、固定相場。1ドルが240円だった。円安で日本の輸出産業は隆盛を極めていたが、貧乏旅行の学生旅人に円安はきつかった。

   昼すぎに、トリノ駅に着いた。ユーロのない時代である。新たな国に入国するたびに両替をしないといけない。西ドイツはマルクであり、フランスはフランであり、イタリアはリラだった。

  イタリアへ留まるか思案したが、両替と宿探しも面倒なので、再び適当な国際列車に乗った。行き先はフランスのリヨンと書いてあった。6人のコンパートメントに荷物を置き、2時間後の出発を待っていた。

 すると、つばの広い帽子を被った貴婦人ぽい女性がコンパートメントに入ってきて、ここに席を取っていいかと聞いてきた。身なりはきちんとしている。「ノープロブレム」と答えると、女性は英語で色々と話しかけてきた。

 次の言葉に引っかかった。
 「あなた、この列車は国際列車でフランスへ行くのよ。フランは持ってるの?」
 ノーと言うと、「列車内でフランがないと困るわよ」と言われた。一瞬の間があり、女性の「私が両替してきてあげる」との言葉に、僕の右手は反応し、100ドル紙幣が彼女の手の中に収まった。女は大きな自分の旅行バッグを指差し、ここに置いて行くから見ててねと言って出て行った。

 疑いもしなかった。当然のごとく、女は二度と戻ってこなかった。

 残された旅行バッグの中には大きなパンが2個入っていた。

 ホームの自販機で1ユーロが戻らなかったことぐらい、どうでもよくなる体験だった。
 1987年、村上春樹はローマやシチリアのパレルモで、あのベストセラー「ノルウェイの森」を書いていたそうだ。「遠い太鼓」のエッセイを読んでいて、初めて知った。その頃のイタリアの日常を描いているが、荒んだイタリアの街暮らしが、ほとほと嫌になった様子を吐露している。

 パレルモで傷のない車を見つけるのは、日本でへこみのあるメルセデス•ベンツを見つけるより難しいかもしれない、なんてことが書いてある。失業、貧困、暴力。そしてマフィアによる殺傷事件が後を絶たない時代背景があったに違いない。

 トリノの100ドル盗難被害も、同じ80年代のイタリアでの出来事だった。フィアットの地元、トリノにはあの頃、南からたくさんの労働者が入ってきていたと、イタリア政府関係者に聞いたことがある。彼らが加害者かどうかはわからないが、あのおばさん、その後、どんな暮らしをしたのだろうか。

 この盗難話は、僕の鉄板ネタとして琵琶法師ぐらい語ってきた。すでに、お釣りが出るぐらい元は取ったと思っている。
 昔と違って、今は重い本をリュックに詰め込む必要がない。旅の空、スマホでこんなふうに読めてしまうのだ。電子ブックを買ってダウンロードすれば、アプリで読めるのだ。読みたい本は、手のひらの中に収まってしまうのだ。なんという時代なのだ!

 「地球の歩き方 イタリア編」はリュックに入れて持ってきたが、来る時の飛行機に忘れてしまった。もったいなかったが、1500円程度払って電子ブックで再度手に入れた。長旅の軽量化に、これほどの優れものはない、と実感している。

 

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)

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