ミュンヘンの中心、マリエン広場の新市庁舎に、ウクライナ国旗とイスラエル国旗が掲げてあった。6月17日午前11時、広場はその日にユーロ2024の試合がある大勢のルーマニアファンで埋め尽くされていた。彼らの歌うルーマニア応援歌の大音響より、この二つの国旗が気になって仕方がなかった。
国旗の掲揚は、戦時下の国への共感を表しているのだろう。大国ロシアから侵略されているウクライナへの共感は理解できる。しかし、イスラエルの攻撃を受けるパレスチナのガザ側の死者は3万7千人を超えているにもかかわらず、イスラエルを讃えている感覚に、激しい違和感を覚えた。「これはアメリカと同じ、ダブルスタンダードではないか」と。
しかし、ローマで会った後輩の元外報記者は「ドイツには特殊な事情がある。イスラエル側に立つしかない」と言った。反ユダヤ主義に火がつくと、ナチスの幻影が現実化してしまう恐れがあるのだという。
確かに。ボローニャの広場の壁に張り出されていた無数の顔写真を思い出した。柱廊の続く旧市街の真ん中、マッジョーレ広場の市庁舎にその顔写真はあった。
1945年4月、パルチザンとして、ナチスドイツ軍と戦って死んだ市民、約2000人の写真である。正装したネクタイの男性、黒髪の若い女性、様々な顔がある。写真のない人は名前だけが書かれている。もちろん、多くのユダヤ人がこの中に含まれている。ドイツ軍はドイツ兵一人が殺されると、無差別に選び出した市民10人をこの広場で銃殺したのだという。
ナチスのユダヤ人への非道は、アウシュビッツをはじめ、ミュンヘンのダッハウ収容所などヨーロッパ各地に痕跡をとどめている。歴史を繰り返してはならないという、加害国の苦渋が、イスラエル旗の裏に隠れているのかもしれない。
しかし、それでもなお、現実のイスラエル軍の非道を許してはならないと思う。紙面ビューアーで読んだ今朝の朝日新聞には、FAO(国連食糧農業機関)は、このまま戦闘が続けば「ガザの人口の半分に当たる100万人が、死もしくは飢餓に直面する」とイスラエルに警告したと書いてあった。ナチスの非道と同じことを、イスラエルがやっている構図に、うんざりする。そして、2009年の村上春樹によるエルサレム賞受賞スピーチに共感する。
高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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