時間は多くない

  2019年1月、会社を辞めた。11階の仕事場からエレベーターで1階に降り、外に出て37階建てのビルを見上げたとき、 「よっしゃ」と心の中でつぶやいた。

  まず、フィリピンの島に渡る。そして、アドリア海で「紅の豚」の隠れ家を探し、モンゴルのノモンハンで憤死した人たちに向き合う。「よっしゃ」にはそんなたくさんの思いを詰めた。

 定年前に会社を辞めるのは難しいようで意外に簡単だ。

  決断さえすればよかった。その決断のきっかけはふいに訪れる。バスを待つときに、いつものバス停留所の看板に蜘蛛の巣を見つけたり、生ビールのグラスについた水滴を拭ったり、そんな時だ。

  もちろん、葛藤はあった。仕事を続ければ安定した給与が入り、福利厚生も充実し、慣れた仕事に戸惑うことはない。
 一方、50代で辞めれば無年金期間が続き、無職、無報酬の身に、住民税や健康保険が重くのしかかってくる。

  昨日税金を納めに行ったが、前年の所得にかかるため、気分が重たくなった。

  会社が敷いたレールに乗ることが、どんなに楽か。そう思ったのは事実である。

  だが、違う自分がいた。
  時間を自由に支配したい。この思いは、月曜日の朝とか、日曜夜勤の日にちょくちょく湧いてきた。

   寺山修司の本「書を捨てよ 街に出よう」が背中を押した。その中に「百行書きたい」というエッセーがある。数年前にまねて書いていた。読み返してみた。

最初の5行はこんな感じだ。

南極でペンギンを見たい
会社を60歳前に辞め、旅に出たい
旅先の自然の中で流れる雲を見たい
南イタリアの海で、潮騒を聞いていたい
五島の赤島を訪れ、かつてそこに住んでいた父の痕跡を探したい

  決断は簡単だった。100行を読み終えて、自分のしたいことをしなければ悔いが残る。残された時間はそう多くはない。もういいだろう、そろそろ。

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)

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