パナイ島の小学生

 マニラから南へ約330キロ離れたところに、三角形の島がある。パナイ島と呼ばれている。島の南のイロイロ空港へ降り立ち、シバロンという州都をめざした。その町の山間部にビラフォレ小学校はあった。

 アタと呼ばれる原住民の子供たち187人が通っている。アタ民族は海を伝って日本にも定住したと聞いた。背が低く、目がクリッとして、色が黒いのが特徴だ。

 はにかみながら、じっと見つめてくる目は、好奇心にあふれている。子どもらにとって初めて見る日本人だったかもしれない。給食の残りを堆肥にして学校農園で野菜を作っていた。指導する先生がつかんだ土から、丸々太ったミミズが出てきた。トマトやイモやモロヘイヤが育つ。今年からイチゴ作りに挑んでいた。

 食べ物を粗末にせず、土をつくり、農薬に頼らない野菜をみんなで育てている。月並みな営みかもしれないが、月並みな営みを教えてくれない、いや、教える能力を持った指導者が日本の学校教育の現場に少ないような気がする。小学校のうちからプログラミング教育だ、英語だうんぬんより、もっと大切な教えがあるだろうと思う。
 
 フィリピンではいま、温暖化の影響で、島の面積が減りつつあるという。アタ族が往来したように、海は繋がっている。
  
  突き刺すような子供たちの目が、暖衣飽食の日本に向けられているような気がした。

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)

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