最果て、冬のオトラント

  イタリア半島のブーツの踵の町に来た。街ではなく、町である。三方をアドリア海に囲まれ、夏こそ観光客でにぎわうらしい。だが、冬のオトラントは強風が吹き、波高く、鄙びている。

  地図を見ると、地中海に伸びた切っ先で、ローマとギリシャという古代文明のちょうど中間点にある。日の出と日没のころ、北東に開けた海の向こうにアルバニアの山並みが見える。

  幾多の戦乱がこの町を通り過ぎたのだろう。

  海沿いに黄土色の城がそびえ立つ。周囲を警戒する歩哨たちが、異民族の攻撃を防ぐために夜もすがら巡回していたかもしれない。

Castello aragonese

   カステッロ アラゴネーゼ(アラゴネーゼ城)と書いてあった。10世紀と15世紀に2度にわたり、城は破壊された。敵はオスマントルコ、はたまたサラセンの海賊か。2月26日、3ユーロ払って中に入った。

  18世紀に流行った怪奇小説の舞台にもなったという。筋は知らないが、確かに夜になると魑魅魍魎が跋扈しそうな風情がある。城壁にはカラスのような鳥が巣くっていたが、鳴き声がまるで違う。キャッキャと鳴いて飛んでいる。
  オトラントのあるプーリア州は、イタリア第二の平原にあり、城の頂上テラスから360度の景色が見渡せる。
   沖を行く貨客船が白波を立てて進んでいた。クレタ島からヴェネツィアにでも行くのだろうか。ルビーやサファイアやアラビアコーヒーを大量に積んで。
などと勝手な妄想を膨らませる。
    この町でイタリア語学校に通い始めた。町からは海と城が見えるだけで、定時を告げる教会の鐘の音ぐらいしか刺激はない。
   勉強に集中するにはもってこいの環境である。夜のオレキエッテとプーリアワインが美味すぎるのが、強敵だが。(中村正憲)

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)

2コメント

  • 1000 / 1000

  • Shoken

    2019.03.08 07:57

    @シュラフォローgrazie. で、シュラ⁇ ごめんなさい、どなたか想像がつきません。
  • シュラ

    2019.03.08 02:09

    楽しくレポート読ませてもらってます。 飽くなき向上心、相変わらず凄いや。 イタリアを選んだのは、サッカー小僧の血が騒いだんじゃないかなあ なんて 勝手に想像しています。