マロンパティの水 3話

マロンパティ の水源にみんなでジャックフルーツの苗を植えた=2019年2月17日、パンダン

  フィリピンのパンダンがあるパナイ島は、近くにあるミンドロ島やレイテ島と同じくアジア太平洋戦争の激戦地だった。
 
  フィリピンで戦死した日本軍は51万8千人(厚労省「援護五十年史」)にのぼった。中国を上回り、最も多かった。一方でフィリピン側の死者は111万人ともいわれる。侵攻した日本軍の軍靴で祖国を荒らされ、家族の命を奪われたこの国の人たちのことを思うと言葉にならない。戦略も見通しもないまま、愚かな戦争に突っ走った日本人とはいったいどんな民族なのか、南海の小さな島で考え込んでしまった。
 
    そんな思いと裏腹に、パンダンでは想像もできないことが起きた。
  中心街にその形が残っていた。

「元日本軍無名兵士之墓 GRAVE OF WORLD WARⅡ JAPANESE SOLDIERS」

  敵である日本軍の兵士を悼む墓石があった。裏側には4人の建立者の名があり、驚いたのは、そこにフィリピン人の名前が刻まれていたことだ。「ホセ・エバンゲリオ」。戦時中、日本軍と戦ったゲリラ隊長だった。

   アジア協会アジア友の会事務局長の村上さんによると、彼は水道パイプラインを敷設する日本人の姿を見て、「私たちはここに20人の日本兵を埋めた。彼らも戦争の犠牲者だ。掘り起こして墓を作りたい」。
  そう持ちかけてきたという。ふつうなら、こんなことはあり得ないと思う。

   墓碑の裏には、日本とフィリピンの平和を愛する人たちが、98年2月に建立したと記されていた。

  日本人ボランティアの穴掘り作業が、思わぬ形であの戦争を「和解」へと導いた。パンダンの人たちは、自分たちに水を与える水道パイプラインを償いと受け取り、そして祖国を侵した日本を許したのだ。
写真は第2次世界大戦でパナイ島へ侵攻し、命を落とした日本軍兵士の墓。当時のフィリピン側ゲリラ隊長が建立に加わった=2019年2月18日


 
   マロンパティから約2㌔離れた標高45㍍の高台では貯水タンクが2基に増設されていた。今年5月、新たに水のフィルター装置が設置される。ドイツ製だ。1億円を超える資金は、フィリピン政府から補助がついた。

   パンダン市の副市長は「ここはフィリピン一安全な水とお墨付きを得た。水源の森を守っていかなければ」と語った。 協会のメンバーは2月17日、水源の森にジャックフルーツの苗10本を植えた。
 
   パンダン水道パイプラインの完成は、無名の日本人たちのたゆみない努力の成果だつた。今は4万近くに増えたパンダン市民に安全な水を供給し続けている。
   この人たちこそ、地上の星だと僕は思う。中島みゆきは、「地上にある星を誰も覚えていない」と歌う。それは違う。この旅で出会ったパナイ島の人たちは、水道管を埋めた名もない日本人たちの姿を深く胸に刻んでいた。(完)
                                   中村 正憲(元新聞記者)
 

パンダンベイに沈む夕日=2019年2月17日

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)

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