語学学校が休みの土曜の昼下がり、プーリア州オトラントから西へ約10キロ離れた田舎町を訪ねた。ミネルヴィーノ・ディ・レッツェという名前だ。鉄道もバス路線もないので、タクシーを使った。15€。
町の中心部はロータリーになっている。ちょうど12時に教会の鐘が鳴った。見渡しても人影はない。ジュリアーノ•ジェンマが馬でやって来て、悪党を退治する古い映画がよみがえる。少年時代、テレビでマカロニウエスタンをよく見たものだ。この町にはきっと「荒野の用心棒」のエンニオ•モリコーネのサウンドトラックが似合う。あのニューシネマパラダイスの作曲家だ。
↑閑散とした町の中心=ミネルヴィーノ•ディ•レッツェ
ひっそりとした石畳を歩き、しばらく行くとオステリア「オリガノ」がみえてきた。ここで出される地ブドウのワインを飲み、スパゲッティを食べてみたかった。大阪のイタリア料理店のSさんに薦められたのがきっかけだ。
しかし、これほどの辺境とは思わなかった。重厚な門構えの玄関を入り、庭を背景にしたテーブル席に案内された。肌寒くストーブがたいてある。まず、生ハムの一種、カポコッロが出てきた。豚の首肉などを香味野菜で煮立て、ゼラチン状に固めたものをスライスしている。
プロシュート(生ハム)に似ているが、少し色が黒い。黒パンに載せて食べた。ベルディカという白ワインで流し込むと、この旅で最高の幸せの瞬間が来た、と思った。さらにフィアーノの白ワインをついでくれた。アルコール分15%とというなかなか強めのワインだ。酸味と果実味がまざりあい、乾燥した早春の町によく似合う。
↑薄く切ったカポコッロにオリーブオイルを垂らしてパンに載せた。オリガノのシェフにお任せしたら出てきた前菜=ミネルヴィーノ
↓オリガノのテラス席
↓ストーブが炊いてあった。3月2日の気温は10度前後
そして、スパゲッティだ。定番のポモドーロを頼んだ。運んできたスタッフに料理の名前を聞くと「ない」と言われた。それはそうだ。讃岐うどんが出てきて名前を尋ねるアホはいない。
↑白い皿にオレンジ色はなぜか食欲をそそる配色だ
ちょっと太めの麺をかみしめた。なんだ、この食感は? 表面と中心部の硬さに違いがある。
麺の中心へ向かうにしたがって、歯ごたえが軟質から硬質へ変わる。これがアルデンテだ。香川県坂出市にある讃岐うどん店「日の出製麺」のぶっかけ麺とそっくりである。ひとかみで坂出の味が脳内の引き出しから登場してきたのには驚いた。
かたやアドリア海、かたや瀬戸内海に近い二つの町の小麦の麺が僕の口中を刺激し、脳内へ信号を送ったものと思われる。
↑ これが本物のスパゲッティ。5種類の具が載っていた
7年ほど前、香川県で勤務していたころ、食通の日銀高松支店長と飲んだことがある。英国勤務が長かった彼女は「世界でアルデンテがわかるのは日本人とイタリア人だけ」と言ったのを覚えている。
その意味を噛み締めた。例えばイギリス人は「この店、生煮えの麺をだしてきた」と言って眉間にシワを寄せるだろう。アルデンテがわからない人には、この美味さを説明してもわからないから、それはそれで仕方がない。
アルデンテなどとカタカタを使うが、イタリア 語の意味は「ザ・歯」。日本語だと「コシ」かな。コシのある讃岐うどんを、ぜひプーリアの人たちに食べさせてあげたい。そして、その反応を見てみたい、などと思いつつ、完食した。ビックリするぐらい、値段が安かったことを付記しておく。
遠い昔、正確に言えば鑑真や空海が生きていたころ、中央アジアで生まれた小麦を加工した食べ物が、東へ向かって日本にたどり着き、うどんになった。そして、西へ向かってスパゲッティになる。ルーツは同じなのだと胃袋で実感した。(中村正憲)
↓ ワイン蔵にはたくさんのプーリアワインが並ぶ。ネグロアマーロとプリミティーボが半々の赤ワインもあった。右がオーナーシェフなアルフレッドさん
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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