リタイア後、イタリア語

 

 イタリア語で使うアルファベットは英語より5つ少ない。「JKWXY」がない。基本的には21のアルファベットで成立する。発音もローマ字読みしたらいい。ドイツ語のOの上に点のついたやつや、英語のTHやら巻き舌のRなんか気にしなくていい。単語の後ろから数えて2番目の母音にアクセントをおけば、もう、それはイタリア語だ。


 簡単にしゃべれる外国語だと思って、イタリア半島の東南端のオトラントに留学したが、なんとも聞き取りがむつかしい。みんな早口なのだ。南イタリアに来て11日目、リペッティ(もう一度)と聞きなおす毎日が続いている。

 ただ、言っておくが、イタリア語を覚えても、通じる国はイタリアしかない。つぶしは効かない。ビジネスに役立たない。美術や音楽に興味がある人たちにとっては理想の国かもしれないが、僕のような俗人には日本に帰ってからそれが生かされることはない。


 では何のために来た?

 うーん?


 会社を辞めて「リタイア」したから、その文字を並べ替えて「イタリア」にしたぐらいの軽い気持ちなのである。リタイア後、イタリア語。


 だけど、勉強を始めるとまじめになる。きょうは「再帰動詞」という本当に理解しかねるレッスンだった。隣のアメリカ人は、スラスラと理解できていた。悔しかったので、宿に帰って復習に3時間は費やした。アメリカ人には負けたくない。アメリカ人が嫌いなわけじゃないが、自国の辺境の沖縄よりもアメリカにこびる祖国の政府の政権の姿と一緒にされたら困る。負けたくない精神のおかげで、なんとか再帰動詞の基本のキは修得できた。晩ごはんを食べるのを逸してしまったが。

 

 日没のころ、歩いて「Torre del serpe」まで行った=写真。オトラントの海沿いの町はずれに立つ捨てられた感のある塔である。「蛇の塔」と訳す。辺りに人影はないし、案内板もない。太陽が沈み、残照が枯野に立つ造形物を照らした。バルカンからの風にさらされる場所だ。震えながら来襲する異民族たちを監視していた役割は遠い昔に終えている。いま、役割もなく、すっくとそこにただ立っている姿がなんと風格のあることよ。

 芭蕉が辞世の句で詠んだ「枯野」が周囲に広がっていた。

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五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)