南イタリア はオトラントの中心に大きな教会がある。観光ガイドや旅のブログでは「オトラント大聖堂」と紹介されている。だが、地元の人たちは「Cattedrale i martiri」と呼んでいた。
「殉教者の大聖堂」。martiriがキリスト教の殉教者を意味する。教会の案内板には1480年、攻めてきた異教徒オスマントルコ軍に改宗を命じられ、それを拒んだキリスト教徒800人が殺されたと書いてあった。
中に入ると天井が高い。床一面にモザイク画が描かれている。パイプオルガンがある。バッハの「G線上のアリア」が流れてきそうな雰囲気がある。だが、その旋律はすぐに打ち砕かれる。
礼拝堂の右手の奥に、おびただしい数の骸骨が飾られているのだ。最初は何かと思う。近寄ると、大きく空いた頭蓋骨の目がこちらを凝視してくる。頭頂部に複数の穴が空いている頭蓋骨もあった。拷問の跡だという。
ガラス張りのケースの中に骸骨が並び、こちらを凝視してくる=オトラント大聖堂
中央の聖母像は生まれた子を膝に乗せ、手を合わせている。おそらくこの子がイエス・キリストか。生と死の強烈な空間だ。骸骨たちは、どんなメッセージを発しているのか。いや、骨たちを通して生者は誰に何を伝えようとしたのか。
オスマントルコの悪業か、キリストの偉大さか、信念を曲げない人間の意思の強さか。
あの世に行けば、大地に回収され、次世代の人たちの思い出の中だけに生きて、やがてそれも忘れ去られていく。そうした死生観の中で育った日本人としては、骨を飾る思考がどうにもよくわからない。
観光客は、この前に立ち、スマホをかざして写真をとり、そして何もなかったようにカテドラルを出ていく。
亡くなった人たちもなかなか落ち着けないだろうに。死ねば、落ち着くも何もないのだろうけど、キリスト教に殉じた人たちの気持ちもそうだが、それを後世に伝えようとする残された人たちの強い意志には、ただただ平伏するしかない。
トルコ軍が攻めてきたときの城壁の門
わが故郷、長崎にも殉教者のメッセージを伝える26聖人像を飾る公園がある。彼らは16世紀、禁教令を発した豊臣秀吉の命で京都・堀川で捕えられ、長崎まで運ばれ、西坂の丘で殺された。
この公園は、高校卒業後に僕が通っていた長崎高等予備校の隣だったので、ちょくちょく散歩に行った。殉教なんぞという行いについて、薄っぺらな十代の脳裏に何も残っていない。
だけど今、この遠い土地に来て、遠い昔に、一つの神をめぐって東洋の辺境と、カトリックの聖地のあるイタリア半島の人たちが、似たような思いで繋がっていたのかと考えると親近感が湧いてくる。
プリミティーボ、ネグロアマーロ、フィアーノ、ベルデカ‥‥。プーリアのワインは赤も白もどれを飲んでも美味い。そしてスーパーで買うと驚くほど安い。1本500円ぐらいのもある。イエスさまが最後の晩餐で飲んだという葡萄酒を試すことで、僕としては毎晩繋がろうと努力している。時には昼間のこともある。 (中村 正憲)
スーパーマーケットに並ぶプーリアワインたち。
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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