いま、イタリアは3月10日午後9時46分。日本との時差が8時間あるから、わが祖国は3月11日の朝を迎えていることだろう。
2011年の東日本大震災から8年になる。去年は原発事故による放射能汚染のために福島から大阪へ子どもを連れて避難した母親を取材し、新聞に掲載した。隠れて暮らす避難者のあまりに理不尽な思いに、胸がつぶれた。
新聞記者は辞めても、その理不尽さは伝えていきたい。いくつかの言葉を載せて、8年目の日の思いをプーリア州からつづる。
〇福島県飯館村の菅野村長
「 目に見えない、色もない姿のつかめない相手との戦いには結果が見えない」
〇物理学者・池内了さんの言葉
政府と電力会社と消費者たちは四つを押し付けた。
1 原発を過疎地に押しつけた
2 被曝労働を下請け労働者に押しつけた
3 核廃棄物を未来世代に押しつけた
4 汚染水を世界の人々に、生き物に押しつけた
「誰も自ら責任をとらない構造。『おまかせ』と『押しつけ』は合わせ鏡」と池内さん。
〇ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックさん
例えば大きな列車事故が起きれば、病院に患者を運び、保険で費用をまかなう。ここではリスクは死者数で計測される。だが、原発事故のようなケースでは、広い範囲に世代を超えて影響が続き、この考え方では対処できない。
〇某氏
不合理な原発について
問題は「不合理な原発をどうするか」より、「不合理が自明な原発をどうにもできない社会をどうするか」なのです。
〇鷲田清一さん
ダウンサイジングの時代、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、最後尾でみんなの安否を確認しつつ進む登山のしんがりのような存在が大切になってくる 。
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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