「銀河鉄道の夜」を見つけた

  この汽車なら、東京-大阪間は14時間30分かかる。窓は汚れて開かない。そのせいで車窓の一面のオリーブ畑も、白内障の目で眺めるとこうなるんだというぐらい、くすんでいる。

    イタリア半島のかかとにあるオートラントとマッリェ間19キロを結ぶスドエスト鉄道に乗った。19キロを30分かけて走る。いったいどうすればこんなにゆっくり走れるのか。運転士はエスプレッソを何杯もお代わりしながら走らせているに違いない。

   オートラント駅を出ると、途中、二つの駅に止まった。CannoleとBagnoloという駅名が駅舎の壁に書いてある。乗ってくる人も降りる人もいない。平日の昼間というのに、だいたい、乗客自体が僕を入れて2人しかいないのだ。



  マッリェで乗り換えて、レッチェを目指した。この辺りから若い黒人の乗客が増えてきた。イタリア語の先生に聞くと、政治的な理由で祖国を逃れ、イレギュラーにやって来た人たちだという。アフリカから小舟に乗って1週間で300人が渡って来ることもあるという。5年ほど前から目立ち始めた、いわゆる難民である。

   遠い日本ではその実態が全く見えないが、地図を広げれば一目瞭然。イタリア半島はアフリカへ突き出した桟橋のようにも見え、格好の避難地となっているのだ。乗り換えた汽車は高校生たちがどっと乗ってきて満員となるが、黒人たちとの間で何かトラブルが起きるような雰囲気ではなかった。

  この半島は古来、さまざまな民族が通り過ぎていったのだから、違う人種に対して寛容な心が根付いているように思えた。特にそのまた先っぽのサレント地方だから。

    レッチェで用を済ませ、もたもたビールを飲んでいると、帰りが遅くなってしまった。マッリェからオートラント行きの汽車は夕暮れを、のたりのたりと進んだ。意味もなく止まってしまうこともある。いや、きっと意味はあるはずだが、僕にはわからない。だって、すれ違う汽車なんてないのだから。周囲に乗客はいない。あたりはどんどん暗くなってくる。



  いったい、終着駅にたどり着けるのだろうか、と不安が増して来た時、ふと昔見た映画を思い出した。30年以上も前だ。宮沢賢治の小説をアニメにした「銀河鉄道の夜」。

    あの映画に出てくる列車の中に、擬人化したネコが2人いた。名前はジョバンニとカンパネルラ。夜を走るスドエスト鉄道の静かな車内と、映画のシーンがなぜか重なった。宮沢賢治が書いた銀河鉄道の夜の舞台は、きっとイタリアが舞台だったに違いない。ジョバンニもカンパネルラもイタリア人の名前じゃないか。映画は悲しいラストシーンだったように思う。

  闇が降りて来て、オートラント駅に着いた。一人の乗客が乗り込んだ。汽車はすぐに折り返して出ていった。急ぐ必要がないと、汽車が遅いことに腹が立たない。

    2、3分遅れたぐらいで、仕切りにお詫びのアナウンスをするどこかの国の鉄道の異常さを、しみじみと考えてしまう。そのアナウンスがまたストレスになる。急がないといけない人たちばかりの国だと、仕方がないのだろう。と言いつつ、ついこの間までそこに属して、なんで電車来ないんだ、とイライラしていたのは自分だったじゃないか。

  スドエスト鉄道が存在していることで何か救われた気持ちになる。ただ、たまには窓はふいておいてほしい。 3・5ユーロの銀河鉄道の旅がもっと楽しくなる。

   無人駅の駅舎の階段を降りて、ロータリーの広場に出ても人影は全くない。空を見るとオリオンのそばで、シリウスが明るく光っていた。BGMは、銀河鉄道の夜の音楽担当だった細野晴臣がいい。
    (中村正憲)

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