イタリアで通じない言葉

  シカの壁画が見つかった4000年前の洞窟遺跡を訪ね、ジアーダ先生(右)からイタリア語の解説を聞くボブ=イタリア・プーリア州ポルトバディスコ

 一緒にイタリア語を学んでいたアメリカ人ボブが、故郷のデトロイトへ帰って行った。

   彼もイタリア語初心者だったが、先生のジアーダさんと3人で話していると、僕だけが会話から取り残された。単語の意味がそもそもわからないのだ。

  だが、同じアルファベット文化、ボブは言葉の意味を類推しながら文脈を把握し、会話を続けていた。ある時、授業の冒頭、ボブが僕にアメリカに来たことがあるか、とイタリア語で聞いてきた。初歩的な単語の羅列だが、全く理解できず、ジアーダとボブが何度もその文を繰り返すたびにますます頭は混乱してしまった。

  書いてもらったが、「Stati Uniti」という言葉がわからない。電子辞書で調べるとアメリカ合衆国のことだった。スターティウニティがアメリカ?

  日本人は「アメリカ」と発音すれば、合衆国のことだとして話を進める。「日本ではアメリカが合衆国だ」と言うと、2人にノンと否定された。アメリカには南もあれば、中央もある。アメリカと言って合衆国だけを指すのはおかしいと指摘された。

  ここでハッとした。アメリカと言えば、ブラジルだってエクアドルだってアメリカ大陸にある国で、広い意味ではアメリカなのである。アメリカと言えばアメリカ合衆国だと覚えた日本の常識は、敗戦国の卑屈さの表れなのかもしれない。USAによるGHQ支配がうまくいった結果なのかもしれない。辺境国日本の姿が、イタリアの踵からならよく見えてくる。

  思想家内田樹さんの「日本辺境論」を思い出した。その著書では、中国側から見た「日出づる国」という立ち位置を、「日本」という国名や日の丸の旗に反映させるのはなぜだろう、という疑問を発し、日本という辺境国について論じていた。ナショナリズムを煽っている右翼が、「中国の東」というこの相対的な国の名前に抗議しないのも何か不可解な話だ。

  「国名」というのは不思議なものだ。イタリアで通じなかった「アメリカ」という言葉から、飼いならされた日本の姿が垣間見える。思考は話す言語で形成されるというのは、本当かもしれない。気をつけなければ。ユナイテッド ステイト オブ アメリカなのである。

   ちなみにアメリカの語源は、発見者のイタリア人探検家アメリゴ・ベスブッチに由来する。彼は決して合衆国部分だけを見つけた訳ではないのだ。だからか、イタリア人はアメリカという言葉を厳密に使い分けている。



   ボブのお別れ会は、巨大なアラゴスタ(aragosta)
というエビを水槽からすくってもらい、2人分のスパゲッティを肴に飲んだ。彼はデトロイトを「デュッロイ」と発音し、ベルギーを「ベンジ」と言った。その度に会話は中断したが、お互い愉快な夜を過ごした。


イタリア語を学ぶ小さな教室。写真はジアーダ先生↓
   ここで思いついた。「理解するのが難しい」という比喩を「米国人と日本人がイタリア語で会話するように」と言い換えてもいいかもしれない。一緒にレッチェのスタジアムでサッカーを見たが、会話はほとんど成立しない。ただ、レッチェが得点した時には立ち上がって満面の笑みで手を叩きあった。
  
   頭で理解できないことはよくあったが、心はよく通じた。
   
   ところでジアーダ先生から、イタリア語の発音ではほめられた。これについては、ローマ字読みできる日本の方がアメリカンより優れているようだ。ボブは最後まで「ジアーダ(Giada)」を「ジャラ、ジャラ」と言い、「ダ」の発音に困っていた。
                                                        (中村 正憲)

  

0コメント

  • 1000 / 1000

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)