もしも旅券を失くしたら 中編

 帰国の朝、ウランバートルでパスポートを失くした。空港でも見つからず、乗るはずの飛行機をあきらめ、ホテルに帰ることにした。

  街は、明日(11日)から始まるモンゴルの夏の祭典「ナーダム」の看板であふれていた。この期間、ホテルは満室、飛行機は満席、15日まで全ての公共機関が休みに入るという。

  やっば! 今日中に再発行の手続きを踏まないと、帰国は相当先になる。今が最悪と思っているうちは最悪ではない、の言葉が頭をよぎった。

  救世主が現れた。慰霊団に同行していた在大阪モンゴル総領事館のTさんが、日本に留学経験のある弟のDさんに電話を入れて、午前中だけアテンドを頼んでくれたのだ。

  ホテルに帰って、まず、わずか一室しか残っていない部屋を押さえた。

   次に、紛失届を得るために警察署に行かなければならない。Dさんが連れて行ってくれた。しかし、そこは工事現場。立っていた警備員は「ここは警察署ではない」。

 見ればわかる(写真下)。


 青い壁に貼り紙があり、移転先の住所が書いてあった。解読できない。とりあえず、Dさんの車で仮住まいのスフバートル警察署へ。

  警察というより、土木工事現場の飯場という感じだ。いくつかの部屋を回され、入ったところにスキンヘッドのサツカンが座っていた。テリー・サバラスの顔から、少しテカリを取ったような小男だった。

  さすがに面と向かって写真は撮れないので、離席した時に写した(写真下)。
 英語も通じない。Dさん頼りだ。

  かなり、もめている。スキンヘッドの言い分を整理した。

1 盗難届と、紛失届のどちらが欲しいのか。盗難か紛失かはっきりさせろ。


はっきりしていたら、こんな所に来ない。

2  失くした状況を全て言え。


チョイバルサン空港で離陸する前の飛行機の機内かも。

3  ならばここに来るのは間違いだ。チョイバルサンへ行け


んな、無茶な。660 キロも、離れているし。

4  あんたが誰で、本当に失くしたことを証明しないと発行できない。


 パスポートを失くしたので、自分を証明できないから困っている。

 スキンヘッドは「モンゴルで失くした不運を恨みな」と言って席を立った。

  スマホで大使館の電話番号を探した。ポケットワイファイを関空で借りてきていてよかった。モンゴル用のシムも1000円で2週間分を買って入れ替えておいたので、モンゴルの携帯番号をゲットしていた。電話代も気にしなくてすむ。

   在モンゴル日本大使館に電話した。二等書記官に「警察が紛失届を出してくれません」と泣きついた。
  すると、彼の提案は、

1 私は日本に急いで帰らないといけない 。
2 大使館には警察の紛失届がないとパスポートは発行できないと厳しく言われている。

この2点をきちんと伝えて下さいと言われた。

  戻ってきたスキンヘッドの前の椅子に座り、出来るだけ悲痛な声を出して大使館とのやりとりを続けた。

  電話を切ってしばらくすると、いつの間にか外に出ていたDさんが戻って来て、スキンヘッドの前にペットボトルのジュースを置いた。なんという気くばり!

  スキンヘッドがナカムーラと名前を呼んだ。名前の綴りを教えろというので、スマホに記録しておいた紛失パスポートの写真を見せた。

  風向きが変わった。

  今回の教訓

●警察署に行く前に、ホテルから電話を入れてもらう。そしてこう言ってもらう。ホテル内かホテル周辺でパスポートを紛失されたお客様がいます。これから、そちらに行くそうです。

(ホテルの滞在客とわかれば、警察官の信用が増す。今回のようにいきなり行くと、怪しまれる)

●失くした場所がどうせ分からないのなら、紛失場所は警察署の管内にする。ウランバートルホテルはスフバートル警察署の管内。最終的にとりあえず、ホテルで失くしたということにした。管轄主義が強いから、管内での紛失には警察官に責任感が生じる。

(管轄外で紛失したと言うと、そこの警察署に行けと言って埒があかない)

●毎日、ご苦労さまです、とジュースを差し入れる。

(人は飲食物に弱い)

  そして、ついに紛失届(写真下)を手に入れた。失くしたものの証明書を手に入れただけなのに、ジンワリと喜びが募ってきた。

  僕の名前がHAKAMYPAとなっていたから「違う違う」と指摘したら、これはモンゴル語だった。

 警察署でのやりとりは結局1時間に及んだ。

 次は日本大使館だ。
  弱ったシマウマの上にハゲタカが舞うように、各国の大使館が集まる場所に証明写真を撮る店がたくさんあった。僕と同じようなヘマをした人間が、需要を掘り起こしているのだ。
 顔写真4枚で600円。


  日本大使館に着くまでに、もう一つ手に入れないといけないものがあった。(続く)


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五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)