日本には帰れません。
言葉が通じない国でパスポートを失くし、早く帰りたいと思うなら、「帰国のための渡航書」(帰国時だけに使用可能)か、本当の「パスポート」を再発行してもらうかどちらかです。
最初にすることは三つ。
1 探すのをあきらめる(これがなかなか難しい)
2 大使館に電話する(日本語を話せる人がいます)
3 必要書類を集める
最も難易度が高いのが3です。
必要書類を下に明記します。
1 警察が発行する紛失届か盗難届
2 顔写真(3.5×4.5センチ)2枚
3 帰国便のeチケット
4 戸籍謄本
5 多少の現地通貨
このうち面倒くさいのが1(モンゴルの場合)。
これらを早く集めることができれば、最短、翌日には帰国できるかもしれません。時間がかかればかかるほど、帰国日は遠ざかっていきます。
さあ、実習編です。私がパスポートを紛失してからのことを一人称で語ります。時に汚い言葉が出るかもしれませんが、ご容赦ください。
↓ 街の中心部にあるウランバートルホテル。私が泊まっていたホテル
7月10日午前5時半、ウランバートルホテルで目が覚めた。南ゴビ、ノモンハンとモンゴル国内通算4千キロの旅を終え、慰霊団一行は、この日午前8時40分発のモンゴル航空機で関空へ帰ることになっていた。
前夜に飲んだ馬乳酒や赤ワインで少々、体が重い。旅の疲れが蓄積しているが、あとは余った現地通貨トゥグルクで土産を買って飛行機に乗れば、昼過ぎには大阪だ。関空のがんこで、「湯葉握り食うぞ」と燃えていた。
カリマーの大小のザックをホテルのフ ロント前に運んだのが午前5時50分。小ザックの脇ポケットに入れているはずのパスポートが見当たらない。もう一度、部屋に戻って家探しした。
ない。
まさか失くした?
そうだ、昨日のチョイバルサン空港で飛行機に乗った後、私の手荷物の小ザックを取り上げた男だ。国内航空会社「フンヌエア」の男性客室乗務員は、私の荷物を、座席上の荷棚に何度も突っ込もうとして入らず、結局、空き席にシートベルトで縛っていた。手荒かった。
この時、脇ポケットから滑り落ちたに違いない。
だとしたら、機内にある。とりあえず、チンギスハーン国際空港まで、みんなとバスで行くことにした。
フンヌエアで座っていた席は13Cと覚えていた。空港の事務所で聞いたら「お預かりしてました。はいこれ、あなたのパスポート、良い旅を」と言ってくれるかもしれない。
良い方にばかり考える癖が昔から治らない。
「フンヌエアの事務所が空くのは午前9時からです」と非情な知らせが入った。
ちっきしょう、オーマイゴッド、ケッパッカード(イタリア語)。
こんな時に吐く言葉は、どんな国でも小さな「ッ」が挿入されている。
そんなことはどうでもいい。
帰国する 一行に別れを告げ、私はホテルに戻ることにした。関空のがんこの湯葉握りが遠ざかっていった。
こういう時に浮かぶ言葉がある。
これが最悪と言えるうちは最悪ではない
(シェークスピア)
続く
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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