斜里岳、シャワーを浴びて

 40年ぶり、知床の山に登った。斜里岳1547メートル。雨の予報が覆り、日が差す山行となった。

 知床の山は広島大ワンダーフォーゲル部時代以来のことだ。あの時はゴムボート二艘を担いで羅臼岳から硫黄岳を縦走し、オホーツク海へ出て知床岬をゴムボートで目指した。7人のパーティーだった。

 途中、道に迷い、ヒグマの巣のような場所でビバーグした。もうそんなバカなことは出来ない。

 16年前に大怪我して右足に人工股関節を入れた。山はもう二度と登れないと覚悟していた。会社をリタイア後、ジムで右足に筋肉をつけた。これならいけるというぐらい、足腰に筋肉がついた。コケると人工股関節は外れる恐れがある。ストックを使って注意深く歩を確かめた。麓から4時間半歩き、ピークを極めた。7日午前11時登頂。

ここまで山頂で記した。さて、下山するか。
 斜里岳の登頂では、沢の渡渉は20回を超えた。新調したモンベルの靴底トレールグリッパーが、ガッチリと濡れた岩を捉え、転倒を防いでくれた。なにせ、昔のビブラムに比べて軽いのなんの。

  それにしても斜里岳の斜度はきつかった。ジグザグの急坂の登りは頑張れば何とかなったが、下りはステッキなしではおぼつかない。右膝の痛みをかばいつつ降り、三度尻もちをついた。

  朝6時半に出発してから行動は10時間。登山口の清岳荘到着は午後4時半を回っていた。

  山岳アプリYMAPによると、行動距離9.8キロ、累積の登り1020メートルだった。人工股関節装着以来、初めての1000メートル級の登山となったが、インブラントには異状なし。下山後に自信と筋肉痛が残った。
  そした翌日、知床を巡った。学生時代に登った知床連山を久し振りに見た。そして、麓の川筋であの野生動物に遭遇した。

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五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)