どうやら、僕は、イタリアの駅との相性があまり良くないみたいだ。
シチリア第2の都市、カターニアに拠点を移して2日目の朝、列車でメッシーナへ行くことにした。イタリア半島とシチリア島を隔てる海峡の街だ。先日、パン粉を付けて焼いたカジキマグロを食べる機会があり、あまりに美味かったものだから、それが獲れるメッシーナ海峡に行きたくなった。
そう、カジキマグロへの気持ちは抑えて、駅との相性の話だった。シチリアの夏の直射日光は半端じゃない。
宿からカターニア駅まで15分ほど歩いただけで、汗だくになり、喉が渇いてしまった。駅前で水を売っている店を見つけることができず、オロオロとホームまで来てしまった。それが冒頭の写真だ。「self bar」と3回も繰り返し書いてある。自販機の中をのぞくと、ペットボトルの水があった。
天の恵み!
28番、1ユーロと書いてある。あいにく2ユーロのコインしかなかったが、お釣りが出るだろうと思って2ユーロを入れて28番のボタンを押した。すると、1ユーロコインが2枚出てきて、肝心の水は出てこなかった。
両替を頼んだ訳ではないのになあ。
今度は1ユーロを入れて28番を押した。普通なら、ガッと機械が動いて、ガチャンと音がして、ペットボトルが待ち受けボックスに落ちてくるはずである。
カターニア駅のセルフバーはうんとも、すんとも言わない。
仕方なく、キャンセルしようとボタンを押してもコインは戻ってこない。何度も何度もボタンを押すので、近くの乗客がチラチラとみてくる。
すると、こんな表示が表れた。
電話のアニメーションが出てきて、吹き出しに何かが書いてある。イタリア語だ。
certo che puoi parlare con me.cerca il numero verde e chiamami!
もちろん、あなたは私とお話できますよ。緑色の電話で私に電話してみて!
翻訳するとこんな感じか。違っていたら誰か教えてください。
これに対する僕の心の中の反応は次の通り。
「いやいや、列車はあと10分で来るんだって。僕はあんたと話してる暇はなくて、水が飲みたいだけなのよ。第一、緑の電話ってどこにあるんだい。そんなの、見回してもないぞ。それに、1ユーロを取った上に、なんで、そんな上から目線で話しかけてくるんだよお」
さすがに自販機を叩くのは、はばかられた。でも、そんな気分だった。結局、「セルフバー」に、ぼったくられた形で、メッシーナ行きの列車に乗った。
こんな些細なネガティブなことを、イタリアの旅で気にしていたら始まらない。
今回の旅の心得として、イタリア語の慣用句を自分で作ってみた。
Domani è un altro giorno.
「明日は明日の風が吹く」
「明日は、また、違う日だ」
Un vulcano potrebbe eruttare a domani.
「明日、火山が噴火するかもしれない」
1697年のエトナ山大噴火で、町が壊滅したカターニアにとって、こっちの言葉の方がピッタリ来るかもしれない。
「くよくよするな、1ユーロぐらいで。あした、エトナが爆発したらそんなことはどうだっていいって、きっと思えるから」
そう思うと気が楽になった。
メッシーナまでは、1時間半ほどの汽車旅だった。さすが、海峡の街。イタリア半島のカラブリア地方が間近に見えた。日本で言えば、マグロ漁で栄える青森の大間か。でも、大間から見る函館より、メッシーナからのカラブリアの方がずいぶん近くに見えた。
メッシーナ海峡の幅は最短で3キロしかないと、ガイドブックに書かれていた。函館→大間が40キロだからずいぶん違う。望遠で切り取ると、カラブリアの街並みがくっきりと見えた。列車を乗せて本土と行き来するフェリーもあるそうだ。海岸沿いを2時間ほど歩いたが、カジキマグロの漁船を見つけることはできなかった。
結局、海を見て、メッシーナビールを飲んだら、渇きはどこかへ飛んで行った。
最初に、イタリアの駅と相性が悪いと書いた。だいぶ昔の話になるが、それは次回また。
注)自販機のイタリア語、タオルミーナの知り合いの方が教えてくれました。「numero verde」は日本で言うお客様コールセンターのことなのだそうです。ひとつボキャブラリーが増えました。
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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