列車、船に乗る

「Intercity notte 1960」というシラクーザ発ローマ行きの寝台列車は、シチリア島の北端、メッシーナ港に着くと、まったく動かなくなってしまった。5月24日の午前0時をすぎている。睡魔が襲うが、列車が船に乗る様子は見てみたい。やがて、4両編成のミッドナイトエクスプレスは静かに動き出した。

 午前1時15分、すっぽりフェリーの中に収まったのが冒頭の写真である。汽車を降りて、デッキに出ると、車や人も乗り込んでいた。船上に上がると、がらんとした客席に人影がポツポツ。
 ドビュッシーの「月の光」を楽しもうなんて言っていられない。シチリアとイタリア本土の距離は3、4キロと短い。20分以内に戻らないと、列車の扉は閉まると同室のイタリア人に脅された。フェリーの窓から夜景を撮って、すぐに寝台列車に戻った。対岸の港に着くと、列車はそろりそろりと線路に戻り、走り出した。
↑ 船から見たメッシーナの夜景。時計は午前1時20分を指していた。

 朝6時半、車掌がジュースと菓子パンを持って、コンパートメントのドアを開けた。僕の顔を見て「サレント」と声をかけ、起こしてくれた。サレント駅で降りなければならないことを知っていた。なんと親切な。

 他の3人は熟睡している。静かに部屋を出ようとしたその時、2段ベッドの上で寝ていたお姉さんが目を開けて微笑んだ。バイバイと小声であいさつした。

 それは昨夜の出来事に対する暗黙のメッセージだった。

 大したことではない。午前1時を過ぎた頃、隣のコンパートメントで、メッシーナから乗り込んで来た女子たちが騒々しいのだ。笑い声のうるさいこと。眠気はあるのになかなか寝付けなかった。すると、2段ベッド女子がつかつかと降りてきて、通路に出て隣のドアをノックした。
 「サイレント!」

 有無を言わせない大きな声に、隣室女子は静まり返った。その毅然としたカッコ良さに「グラッツェ、サンキュー」と僕は声をかけたのだった。そんな潔い行動は、たぶん僕には取れない。悶々と眠れぬ夜をきっと過ごしていたに違いない。

 「サイレント」と「サレント」。この二つの言葉を聞けば、ミッドナイトエクスプレスを思い出すことになるだろう。

 いま、王宮の見えるカゼルタ駅のホームで、レッツェ行きのフレッチャーロッサを待っている。あと、5時間、列車旅は続く。

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定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)