「地上の星」を見つけたいなら、マロンパティに行くといい。そこの岩壁には、フィリピンの島の人たちに、命の水を送り届けた無名の日本人たちの名が刻まれている。「風の中の昴」であり、「水底のシリウス」たちだ。
マロンパティ は、マニラから南へ約330キロ離れたパナイ島北部にある泉の名前である。原生林の中でこんこんと湧き出す水は、コバルトブルーの色をたたえ、魚影が濃い。ここから南西約10キロにある海沿いのパンダンという町は、井戸水に塩水が混じり、高血圧の病気で死ぬ人が絶えなかった。
1990年8月は暑い夏だった。大阪市内にあるNGO「アジア協会アジア友の会」の事務所にパンダン出身の慶応大留学生から電話がかかった。事務局長の村上公彦さんが電話を取った。
「僕の町に井戸を掘ってほしい」
唐突な要求だった。だが、牧師でもある村上さんはパンダンへ下見に行った。専門家に依頼して調査をすると、どこに井戸を掘っても淡水は得られないことがわかった。人口2万6千のパンダン住民の悩みに応えようとしたが、水源を他に探すしか道はなかった。さらに、難題があった。
この島は第2次世界大戦の激戦地だった。大岡昇平が自らの捕虜体験とフィリピン人への日本軍の残虐を描いた小説「俘虜記」は、パナイ島近くのミンドロ島やレイテ島が舞台だ。パナイ島も日本軍の侵攻によって多くの島民が殺されていた。
恨みは、戦後初めてこの島を訪れたという村上さんに向けられた。「何をしにきたんだ。あんたが息子を殺した」。老女から詰め寄られ、村上さんは言葉を返せなかった。
こんな島でボランティアに入るのは難しいだろう。住民の支援が得られないと、何もできまい。NGOの会議は激論になった。だが、だからこそ、島民のために水を送らなければなるまい。戦争体験者たちの声が最終結論に導いた。
マロンパティから水を引こう。だが、調査に入ると、思わぬ誤算に愕然とした。戦後50年が経とうとしていた。
写真はコバルトブルーに輝くマロンパティの源流
続く(中村正憲)
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