水に悩むパンダンの町にマロンパティから水道パイプラインを引くプロジェクトは、出鼻をくじかれた。
市庁舎のあるパンダン中心部と、10キロ離れたマロンパティの標高がほとんど変わらないことが後からわかったのだ。これでは、標高差を利用して水を流すことができない。普通なら諦めるところだ。しかし、アジア協会アジア友の会のメンバーらはさらに代案を考えた。
それならば、マロンパティから 2キロ離れた小高い丘にポンプで水を揚げよう。標高は45メートルある。そこから市街へ落とせばいい。
1994年春、プロジェクトは動き出した。丘の上に貯水タンクを築き、マロンパティにはポンプ場を築いた。その間を直径25センチ、長さ6メートルのパイプでつないだ。そして、貯水タンクからパンダン市の中心部までもパイプを埋めた。難事業は1999年に完成した。最初の電話から9年の歳月が流れていた。
今月17日、村上さんら協会メンバーとパンダン中心部からマロンパティへ車で向かった。 道中、「この下にパイプがずっと埋まっとるんや」と村上さんが言った。 穴掘りは日本人ボランティアと、パンダン住民が共同で進めた。ときに岩盤があれば砕いたり、迂回したりして進んだという。 当初は資金繰りもめどがつかない。気の遠くなる話だ。五体投地して尺取り虫のように進むチベット巡礼の映像を見たことがあるが、その行為すら生やさしく思えてくる。
マロンパティに着くと、屋台や土産物屋が立ち並ぶ公営の水浴公園となっていた。入場料40ペソ(85円)という看板があった。コバルトブルーの天然プール( 幅30㍍、長さ約80㍍ )は、砂地の川底まで見通せる。対岸まで泳いで往復した。冷たい。中央部は深さが3㍍を超え、20㌢ほどの魚が数匹、銀色のうろこを輝かせていた。両岸は家族連れや若者らであふれ、高飛び込みや、上流からのラフティングを楽しむ観光客で混雑していた。
写真=マロンパティの水浴場。直行便が出来た韓国からの観光客が急増している
水道管の青いパイプは2本に増強されていた。現地で迎えてくれたパンダン市水道局マネージャーのアールドウィン・アルヒパンさん(43)は「去年12月に2本目のパイプを増設した。それでもまだ6割の需要にしか応えていない」と話した。人口増が背景にあり、井戸から水道に変えようとする家庭も急増しているという。
写真=マロンパティの橋の欄干には、アジア協会の名前が刻まれ、その奥にパイプラインを築いた人たちの名前が書いてあった
マロンパティの水を汲み上げるポンプ小屋を案内してくれたアルヒパンさんは、深刻な顔で言った。「私はこの上流の水源を開放し、ラフティング客を入れるのに反対した。水が汚れるのが心配だからだ。日本の人たちの遺産を守りたい」。彼は十代のころ、ボランティアが自分たちのために穴を掘ってパイプを埋める姿を間近に見ていた。
「なぜ日本人が我々のために穴を掘るのか」。事業が始まったころ、これが多くのパンダン住民の思いだったという。村上さんは「ボランティアの意味を説明しても現地の人は理解してくれなかった。日本人が何かもうけを企んでいるんじゃないかと勘繰られた」と言う。
しかし、パイプラインは日比の延べ約2万人の労力、寄付などによる8千万円の資金で完成した。プロジェクトは、パンダン市民に命の水を供給したが、もう一つ大切なことを残した。
(続く)※次回で完
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