南イタリア五景

  イタリア半島の南の辺境オトラントに来て2週間がたった。この2週間、一人の日本人も見かけなければ、一言の日本語もしゃべっていない。オトラントは長く、東ローマ帝国の支配下にあった。ギリシアに攻め込まれたり、ノルマン王朝の支配下にあったり、オスマントルコに占領されたりと、その地勢からイタリア半島の玄関マットのようだ。
   国境の町として、したたかに生き延びてきたのだろう。これまた東洋の辺境、日本との習慣の違いに遭遇したので、写真で紹介する。
  

    戸外。男女は握手のような感覚でキスをする。戦乱で人が亡くなるのが常態化するならと、子孫を残す営みは死活問題として残ったのか。通りすがる人は誰も気にしない

    どこのB&Bも鍵が簡単に開かないし、締まらない。いつも知恵の輪遊びを試されている。侵入を防ぐ知恵か? それなりの値段のこのホテルでは、部屋に入るまでに三つの鍵を渡され、まるでUSJのアトラクションかよ、と思ってしまった
    道を歩いていると、なんてうまい縦列駐車の技術だろう、と思う風景によくであう。後ろの車との間隔もこんな感じ。どうやって出るのだろう。
    直径30センチ近い。ピッツァは一枚全部食べきれない。小麦粉300グラムは使ってそうだ。ピッツァを焼くここのお兄さんは次から次へとくる注文に愛想よく応え、休みなく焼いていた。勤勉なイタリア人の姿に感動
    サレント半島の最南端のレウカからやって来たチェザーレさん。オリーブやカペッロを水曜市で売っていた。喋り出したら止まらない、止まらない。こういう時、バスタというと、パッと話が止まる

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定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)