廃墟に残る一幅の絵

 

 石段を上った2階の入口の先に長方形の窓がある。息をのんだ。窓の向こうにアドリア海へつながる草原が続いていた。遠くに雲がわいている。それは一幅の風景画としか思えない。


 イタリア半島のカカトの町、オートラントから南へ4キロほど行ったところに廃墟はあった。マッセリア・チッパノという地名がついているが人家はない。ただただ、ごつごつした岩と草っぱらが広がり、東にエメラルドグリーンのアドリア海が見えるだけ。人はだれもいない。観光案内板もない。海岸沿いの車道から、むき出しの土の道を進むとその城塞はぽつんとあった。


 中に入ると割れた石が無造作に転がっている。敵を銃で狙う穴がいくつかあいている。日本のお城の狭間(さま)と同じだ。「狼の口」と呼ぶ監視用の窓もある。家族が冬をしのいだ石室があった。そこで目をつぶると、焚火の前で話し声が聞こえてきそうだ。マッセリアの城塞は、15世紀で時間が止まったままそこにあった。

    「エッシャーのだまし絵」に似ている石段がある。2階へ登りつめた先の扉は、敵が攻めて来たらふたをする構造になっていたという。遠くを見ると、羊の群れが草原を進んでいた。



 敵とは誰か。「オスマントルコ軍」とイタリア語教師のジャアダ先生が教えてくれた。版図を広げるトルコ軍の目的は「食料と女とイスラム教への改宗だった」と言う。


 辺境の城塞に立てこもり、戦ったサレント人たちが窓から見た眺めは、攻め来る兵士たちの姿だったのだ。一幅の絵と、悠長なことは言っていられない。しかし、この運べない額縁は今、不思議な空間を切り取ってくれる。


 額縁の前にジャアダ先生に立ってもらい、写真を撮った。「Come la Gioconda」と言うと、はにかみながら微笑んだ。ほんとにモナリザみたいに見えた。

(中村正憲)

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五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)