2月23日、氷雨と強風の中、たどり着いたイタリアの最南東端の町オートラントは気温4度だった。7時を過ぎても日が昇らない。
あれから、1カ月がたち、6時過ぎには太陽が昇るようになった。イタリアで最も早く日の出を眺めた1人が僕だったかもしれない。太陽の周回が赤道より北へはみ出してきた。イタリアの偉人ガリレオに怒られそうだ。太陽が周回しているのではないぞ、と。冬のオートラントは、確実に春(プリマベーラ)になった。
夜、アラゴーネ城から見た満月は東にあった。朝になると、満月は西に沈もうとしていた。日の出と月の入りを同時に見た。得をした気分になる。
月並みの言葉しかないが、あっと言う間の1カ月だった。朝、赤灯台まで歩いて町を眺めた。日本のように金太郎飴のようなどぎつい看板はなく、教会より高い建物はない。住まう人たちの美意識が羨ましくなる。そして、その町の歴史を大事にしている。城塞は海に対して絶えず警戒の目を光らせているように見えた。
どれだけのパスタを食べたことだろう。
写真の上から順番に、
ラビオリ、ミンキャレッリ、オレキエッテ、海の幸スパゲッティ、スパゲッティコンリッチ(ウニ)、自分で手打ちして作ったサンネトルテ。
もちろん、イタリア語の勉強に費やした時間が最も長かったのは言うまでもない。この1カ月、日本語を喋っていないし、日本人を見ていない。東洋人に限ると、1人だけ中国人の若者を見た。
こんな超有名人と会えた。イタリアの歌手アルバーノさん。サンフォカという町でイタリア語の校外学習をしている時、昼食に入った店に青いマフラー姿でやってきた。「生で見るのは初めて」と緊張したジアーダ先生とツーショット写真を撮った。
ヒット曲のフェリーチェはユーチューブで再生回数が1億回を超えていた。僕が日本人と分かると、突然「世界は二人のために」を日本語で歌い出した。
「愛、あなたとふーたり」。
「ふうたりのため、せーかいはあるの」と呼応してしまった。
世界は確実につながっている。
太陽が昇りきった。カリマーのザックに荷物を詰め込み、まもなくこの町を出る。次はレッチェから列車旅。
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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