再びの旅立ち

  先日、勤めていた会社近くで社会部の後輩記者に偶然会った。 「ブログがローマで終わったままです。どこで何してたんですか」と聞かれた。

  帯状疱疹やら何やらと、ガタが来た身体のチューンナップをした。そして、職安に通った。いまはハローワークという。パソコンで様々な職種や地域を検索すると、実にたくさんの求人が出て来る。特に多いのが保育と介護、そしてウェブ制作者だ。人手不足の業種が、今の社会のありようを映し出している。

   教員、文筆関係、農林水産業と勝手に検索を進め、その中から何枚かを印字した。根室や旭川の新聞社、東京の美術系出版社、石垣島のマンゴーの収穫などを印字した。プリントは10枚までと制限されている。その紙をボードで仕切られたボックス席へ持って行き、担当者から説明を受ける。

 この仕事はすでに6人が応募しているなど詳細を聞く。壁に、大阪府の最低賃金936円と書かれたチラシが貼ってあった。「初マグロ一匹1億円」の時代に、人の時給が千円以下とはなんとも哀れなり。
結局、希望の職は見当たらず、職安を後にする。

  イタリアのオートラント留学から帰国後、いつのまにか3カ月が経った。ブログを読み返すと、ローマのフィウミチーノ空港でギルバート・オサリバンのアローンアゲインを聴いているのが最後になっている。

  今、ナットキングコールの「国境の南」を聴きながら、関西空港でモンゴル航空506便の出発を待っている。就航するこの直行便に乗ればウランバートルへは5時間足らずだ。梅雨の大雨が心配な日本を離れ、夕方には草原の国へ着く。

  「いま日本の湿度は80%ぐらいでしょ。向こうは15パーセントよ」。モンゴル通の人が教えてくれた。



7月3日、関空に就航したモンゴル航空のウランバートル直行便

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定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)