ハルハ河は中国を源流にして、モンゴルのボイル湖に流れ込む。全長400キロのうち、モンゴル側を290キロ流れる。80年前、満州とモンゴルの国境がこの付近にあった。
1939年5月から9月まで、この川の両岸でソ連・モンゴル軍と日本・満州軍が戦った。発端はちょっとした国境の小競り合いからだった。結果は、戦車も飛行機も、兵站も圧倒的な物量に勝るソ連とその傀儡政権モンゴル軍が勝利を収めた。双方2万人ずつが死傷した戦いは、モンゴルではハルハ河戦争、日本ではノモンハン事件と呼ばれる。
戦争でありながら、戦後の教科書でも、小さな活字でノモンハン事件と紹介されてきたこの国の意図された言い換えから、この戦争は葬り去られてきた。その結果、敗戦の原因が究明されず、300万人が犠牲になる太平洋戦争へ突き進んでしまった。
↓ 山川出版社 詳説日本史(昭和52年3月発行)のノモンハンに関する記述
ハルハ河両岸約70キロにわたる戦場には、今も塹壕や撃墜された戦闘機の残骸が回収されないまま、残っていた。今年はノモンハン戦争80周年。日本モンゴル文化経済交流協会の慰霊団一行に同行し、7月7日、現地を訪れた。
首都のウランバートルから東へ約1000キロ。そう簡単には、たどり着けない場所だった。
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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