モンゴル五景

  ●ノモンハンの近くの草原で休んでいると、浅黒い顔の親父が馬に乗ってやって来た。どうだ、乗らないか、と手綱を渡そうとする。少し躊躇すると、馬頭琴奏者のアマルバヤルさんが颯爽と飛び乗り、あっと言う間に駆け出した。
  男ながら惚れ惚れしてしまった。カッコいいモンゴルの男たち。

●ノモンハンとチョイバルサンの間の荒野に油田があった。タンクローリーも行き交う。だが、全て中国資本。まさに搾り取られている光景だ。過去3千年、支配したり、支配されたりと、漢族に抱くモンゴル人の感情は複雑だ。概して嫌中意識が強い。

●時に道沿いにケルンのようなものを見かける。チベット仏教の祭礼が営まれる場所で、オボーと呼ばれる。時計周りに3周回って石を置くと、旅行きの安全が確保されるとモンゴル人が教えてくれた。面倒臭いので1回しか回らず、ここを後にした。やがて、パスポートを紛失した。

●ウランバートルのシャングリ・ラ・ホテルでの晩餐会。モンゴル国文化大使の佐藤紀子さんの交友の広さに驚く。右から二人目がオチルバルト初代大統領、その左が元大統領夫人、その隣が朝青龍のお母さん。
  元大統領夫人が逸話を披露した。父親が、終戦直後、約1万4千人いたと言われる日本人抑留者の収容所長をしていたという。凍てつく寒さに、所長は温めた煉瓦2個を抑留者たちにこっそり渡していたそうだ。国家と国家は戦ったが、人と人とは繋がっていた。この話は「二つの煉瓦」という映画になっている。
  続いて朝青龍のお母さんの挨拶が笑いを誘った。「わたしには名前がありません。朝青龍のお母さんです」。

●ホルホック。モンゴルのおもてなし料理である。羊肉を熱した石で蒸し焼きにする。肩甲骨の肉が歯ごたえがあって美味かった。この日はホワイトビールだったが、モンゴルのゴビビールもこくがあってなかなかいい。

●ウランバートルのスフバートル広場で繰り広げられたナーダムの開会を告げる行列。本当は帰国していて見ることができなかったのだが・・・。(2019年7月10日)

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定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)