これが事件現場と言えるだろうか?
私たちはノモンハン事件と教えられた。だが、その現場には、回収されない重装甲車や撃ち落とされた戦闘機の残骸が今も残っている。これは明らかな戦場である。
この国の為政者にまんまと「事件」という言葉で騙されてきた。日本・満州軍は2万人の兵士が死傷し、ソ連・モンゴル軍も2万人の兵士が犠牲となった。
これはノモンハン事件ではなく、ノモンハン戦争だ。モンゴルはハルハ河戦争と呼んでいる。
岩波新書「ノモンハン戦争 モンゴルと満州国」を書いた言語学者、 田中克彦さんは「戦争という言葉を使うと勝ち負けをはっきりさせなければならない。事件はそれを明らかにしなくてすむ便利な言葉である」と書いている。
敗戦と書かなくて済んだから、敗因の分析が疎かにされ、無能な参謀達が生き残り、南方でも同じ過ちを繰り返した。
今回の旅に同行した田中さん=写真左=は、「実は満州国の出現でモンゴル内の民族、ハルハ族とバルガ族が分断され、彼らが敵同士になった戦争なんです」と教えてくれた。
日本側についたバルガ族のトゥメンさんも、慰霊の旅に同行し、ボイル湖のゲルキャンプで、身の上話をしてくれた。意外な話に驚いた。
↑ 田中克彦さんの「ノモンハン戦争」と、村上春樹がノモンハンについて書いた「辺境・近境」。戦場を訪れた後、村上はチョイバルサンのホテルで物の怪につかれたのか、眠れなくなった話を書いている
定年後、荒野をめざす
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)
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