帰れない私

 また、日本に帰れなくなってしまった。深夜のデンパサール空港でタクシーを拾い、バリ島中心街のホテルに戻っている。

 デジャヴ。というのだろうか。7月のウランバートルと全く同じだ。予約した飛行機に乗れなかった。

 海外に出るたびに、邪悪なものが、私の帰国を阻もうとする。待てよ。邪悪なのはオレか?

 わずか3カ月で二度も帰国を阻まれた。いや、まだあった。去年、ベトナムに行って、ハノイから関空に帰る日に関空が水没した。直前で成田に行き先を変えて陸の孤島でのサバイバル生活を免れた。それを入れるとこの一年余りで3度も、異状な出来事が続いている。

  まあしかし、今回は日本を直撃しそうな台風の影響だから仕方がないとしよう。

 それにしても、パスポートを失くして帰れなかったウランバートル国際空港と、台風が帰国を阻んだバリ島のデンパサール空港には共通点がある。いずれの空港も、別名にヒーローの名前がついているのだ。

 ウランバートルはチンギスハーン空港。バリは、インドネシア独立戦争の英雄グスティ•ングラライ空港。

だからなんなんだ、と言われれば、返す言葉は持っておりません、と、
つまらないことを考えながら、グスティが立つ深夜の空港を後にした。

定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)

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