自販機に消えた1ユーロ

 どうやら、僕は、イタリアの駅との相性があまり良くないみたいだ。

 シチリア第2の都市、カターニアに拠点を移して2日目の朝、列車でメッシーナへ行くことにした。イタリア半島とシチリア島を隔てる海峡の街だ。先日、知り合ったTさん(タオルミーナ在住20年)手作りのカジキマグロのパン粉焼きがあまりに美味かったので、それが獲れるのがメッシーナ海峡だ、と聞いて行きたくなった。

 そう、カジキマグロへの気持ちは抑えて、駅との相性の話だ。シチリアの夏の直射日光は半端じゃない。スペインもそうだが、夏の午後はシェスタと言って長い昼休憩を取るのはこの太陽のせいだ。決して、彼らが怠けているのではない。暑い時に炎天下で働くと倒れてしまうのだ。

 いやいや、シェスタの話ではなく、イタリアの駅との相性が悪いという話である。

 カターニア駅で、まだ午前中なのにこの直射日光に打たれて、喉が渇いてしまった。駅前で水を売っている店を見つけることができず、オロオロとホームまで来てしまった。それが冒頭の写真だ。「self bar」と3回も繰り返し書いてある。自販機の中をのぞくと、ペットボトルの水があった。

 天の恵み!
 28番、1ユーロと書いてある。あいにく2ユーロのコインしかなかったが、お釣りが出るだろうと思って2ユーロを入れて28番のボタンを押した。すると、1ユーロコインが2枚出てきて、肝心の水は出てこなかった。

 両替を頼んだ訳ではないのになあ。

 今度は1ユーロを入れて28番を押した。普通なら、ガッと機械が動いて、ガチャンと音がして、ペットボトルが待ち受けボックスに落ちてくるはずである。

 セルフバーはうんとも、すんとも言わない。
 
 仕方なく、キャンセルしようとボタンを押してもコインは戻ってこない。何度も何度もボタンを押すので、近くの乗客がチラチラとみてくる。

 すると、こんな表示が表れた。
 電話のアニメーションが出てきて、吹き出しに何かが書いてある。

イタリア語だ。

certo che puoi parlane con me.cerca il numero verde e chiamami!
もちろん、あなたは私とお話できますよ。緑色の電話で私に電話してみて!

 翻訳するとこんな感じか。違っていたら誰か教えてください。

 これに対する僕の心の中の反応は次の通り。
 「いやいや、列車はあと10分で来るんだって。僕はあんたと話してる暇はなくて、水が飲みたいだけなのよ。第一、緑の電話ってどこにあるんだい。そんなの、見回してもないぞ。それに、1ユーロを取った上に、なんで、そんな上から目線で話しかけてくるんだよお」

 さすがに自販機を叩くのは、はばかられた。でも、そんな気分だった。結局、「セルフバー」に、ぼったくられた形で、メッシーナ行きの列車に乗った。

 こんな些細なネガティブなことを、イタリアの旅で気にしていたら始まらない。

 今回の旅の心得として、イタリア語の慣用句を自分で作ってみた。

Domani è un altro giorno.
「明日は明日の風が吹く」
「明日は、また、違う日だ」
 
Un vulcano potrebbe eruttare a domani.
「明日、火山が噴火するかもしれない」

 1697年のエトナ山大噴火で、町が壊滅したカターニアにとって、こっちの言葉の方がピッタリ来るかもしれない。

 「くよくよするな、1ユーロぐらいで。あした、エトナが爆発したらそんなことはどうだっていいって、きっと思えるから」

 そう思うと気が楽になった。

 メッシーナまでは、2時間近い記者旅だった。さすが、海峡の街。イタリア半島のカラブリア地方が間近に見えた。日本で言えば、マグロ漁で栄える青森の大間か。でも、大間から見る函館より、メッシーナからのカラブリアの方がずいぶん近くに見える。結局、海を見て、メッシーナビールを飲んだら、渇きはどこかへ飛んで行った。
 最初に、イタリアの駅と相性が悪いと書いた。その話は次回また。

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定年後、荒野をめざす

五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)