再訪タオルミーナ

 時間を少し遡る。
 5月22日、標高200メートルの崖の上の町、タオルミーナを訪れた。1年9ヵ月前、ここのイタリア語学校「バビロニア」に通っていた。それが、この写真の場所だ。レストランが併設された学校で、後方に見えるのが教室である。多い時は、世界各国から約80人の生徒が集う。ただ、僕が通っていたころは、アジア人は一人だった。コロナ禍で、日本人の渡航に制約が多かったせいでもある。

 木漏れ日揺れるテーブルに集う面々が、今回の旅の道連れで、大阪のイタリア料理店の名シェフたちだ。

 右端が、大阪の名店「ピアノピアーノ」(2022年閉店)で30年働いた塚本秀樹さん。今は堺で「バルボ55」という店を切り盛りしている。次が、シチリア料理「クッカーニャ」(緑地公園)の今木宏彰さん。30年前、カターニアの名店「シチリアーナ」で修行した名シェフだ。そして、中央が西科敏行さん。隠れた名店、桃山台の「ビリッキーニ」の料理人で、料理はピアノピアーノ仕込みである。そして一人飛ばして、今回の「研修」に無理やり参加させてもらった僕。

 スラリとした笑顔の女性が、バビロニアのイタリア語学校で働くサエコさん。前回、たいへんお世話になり、再会を果たした。大阪出身の彼女が関西弁で話すと、場がなごみ、渋面のおじさんたちは、終始ニコニコ顔になっていた。男は単純な生き物である。

 そして、この写真を撮ったのがクッカーニャのスタッフ宍道収さん。ありがとう。

 この魚のパスタに全員がうなった。バビロニアの料理人ニーノさんが腕を振るってくれた。魚の名前は正確にわからなかったが、「キンキのリングイネ」と名付けた。今木さんによると、魚の半身を炒めてソースにしたのだという。西科さんは「衝撃の味だった」と一言。塚本さんは、「メーン料理の出汁をソースにしているので旨みたっぷり」。「日本の料理でいえば、鍋の最後に食べるおじやの感じ。おじやを作るためにわざわざ出汁を作ったみたいなもの」と解説してくれた。
 そして、取り分けてくれたら、こんな素敵な盛り付けになった。オレンジの木の木漏れ日も皿の上にアレンジされた。

 ソムリエのフィリッポさんが、学校にあるワイン蔵に連れて行ってくれた。「好きなのを選べ」という。至福とは、こういう時に使う言葉だ。ほぼ、エトナ山で作られるエトナロッソとエトナビアンコである。タオルミーナから間近に見える活火山の山麓で育つブドウが原料だ。
 素敵な時間はあっと言う間に過ぎてしまう。最後に、オーナーシェフのアントニオ(写真右端)と一緒に記念写真を撮った。アントニオは「日本食の料理人を探している」と言った。今木さんは、研修として派遣を考えてみたいと答えていた。

 新たな出会いが、人生を変える。大阪とタオルミーナの縁が深まれば、このうえない喜びだ。
 僕は翌日、一行と別れ、プーリアへ汽車で向かった。

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五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、22歳の春、旅に出た。パキスタン航空の格安チケットを手に入れ、カリマーのアタックザックひとつでアジア、ヨーロッパをさすらった。そして再び、旅心に囚われ、36年間勤めた新聞社を辞め、旅に出る。(中村 正憲)